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![]() 息子・その2 長男のDと会ったのは、 昨年末の十二月五日のことだった。 その日の日記にも書いたが、 Dはオタク相手のイラストなどを描いて生計を立てている。 「Yahoo!」などに息子の名前を入れて検索してみると、 約二十万件ほどもヒットするから、 ま、その世界では著名人なのであろう・・・。 今日、ネット上をウロウロと徘徊しているうち、 「ANA ユニフォーム・コレクション第二弾発表」、 などというサイトを見つける。 「ムム、これはひょっとしたら!?」、と開いてみると、 やはり、Dがデザインしたフィギュアが八種類ほど紹介されていた。 前回、Dがキャビン・アテンダントのフィギュアをデザインしたのは 今から三年半ほど前のことだったが、 その時は、十種類のフィギュアが総計百万個近く売れたらしい。 前回と同じ柳の下の泥鰌を狙った企画といえるが、 そうは問屋が卸すかどうか、親としては気にかかる・・・。 次男のSは三年半ほど前に、 有馬温泉にイタリアン・レストランを開業させた。 観光地であるから、季節によってお客様の入り具合は変動するが、 お客様からの評価はなかなかのものであるらしく、 固定のお客様もついてきた、という話をよく聞く。 ま、SはSなりに頑張っているようであるな。 さて、三男のSであるが、 こいつはコンピューター関連の仕事に就いているが、 専門用語が多いから、話を聞いてもチンプンカンプン。 コンピューターは解ったが、 コンピュータのどのような仕事をしているのか、がまったく解らない・・・。 しかし、仕事を抱えてイタリアに出かけたりアメリカに出かけたりしているところをみると、 少しは世間のお役に立っているのだろう・・・。 三人の息子たちは皆立派に成長してくれた。 人生一寸先は闇。 明日のことは誰にも解らないが、 息子たちは私を反面教師として学ぶことが多かったはずであるから、 ま、彼らは彼らで何とかしていくことだろう・・・。 しかし、向後の憂いというのは、なかなかに晴れないものであるな。 ![]() タヌキとキツネ 私が母方の祖母と暮らしていた頃。 今から五十三年ほども前のこと。 祖母が住んでいた里山には キツネやタヌキもまたたくさん住んでいた。 ある夏の日、 隣の婆さんが息急き切って飛び込んできたことがあった。 「畳と畳の合わせ目から人間の親指が出てきた」、 ということであった。 「どれどれ」、と祖母と出かけていくと、 どこにも指など出てはいない。 「見間違いだろう」ということで一件落着したのだが、 当日の夜、その婆さんが部屋で過ごしていると、 またもや、「畳の間から指がニュルリと出てきた」、というのである。 その「ニュルリ」という婆さんの表現が実に生々しく、 今もその時のことを鮮明に憶えているのだが、 「あんた、そらいっぺん拝み屋さんに診てもうた方がええで!」、 ということになり、祖母と婆さんはバスに乗って町に出かけていった。 「隣の婆さんの家は、もともとはタヌキの棲み処であった」 「そこに婆さん一家が家を建てたものだから、タヌキが怒っている」 「タヌキは今も床下に棲みついている」 「タヌキは婆さん一家を追い出そうとしているに違いない」。 それが拝み屋の見立てであったらしい。 「ほんなら笹の葉を燃やして燻したらええやんか」、ということになり、 両家総出でタヌキを燻りだすことになった。 私などはタヌキを捕まえるために網まで用意していたのだが、 とうとうタヌキは出てこなかった。 ま、タヌキがそれで出て行ったかどうかは知らないが、 以来、畳の間から指がニュルリと出ることはなくなった。 「風呂だと思っていたら肥え溜めに入っていた」とか、 「美味い饅頭だと思って食っていたら馬糞だった」とか、 当時、田舎においては、 タヌキやキツネに化かされたなどという話はどこにでも転がっていたな・・・。 「内山節」著による「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」、 を読んでいてふと思い出した子どもの頃の話・・・。 ![]() 文鎮 刀鍛冶でいらっしゃるМさんのお嬢さんにお会いしたのは、 まだ彼女が小学五年生の時であった。 次にお会いしたのは、 彼女が大学受験を控えていた時であるから、 十八歳、ということになるか。 そういえば、五年前にも一度お会いしているな。 昨年末、そのお嬢さんが、 ご亭主とともに私のアトリエを訪れてくださったのだが、 今朝、彼女からズシリと重い封書が届く。 封を開いてみると、中から一つの文鎮が出てきた。 「鍛鐵降魔」と刻印された文鎮。 「降魔」には「魔物を退けて悟りを得る」というような意味があるから、 「鍛鐵降魔」とは、 「魔物を退けて悟りを得るための鉄を鍛える」、という意味になるのかな!? 添えられていた手紙には、 「主人は父の跡を継いで刀鍛冶になることを決意してくれました」 「しかし、まだまだ切れる刃物を鍛えるまでには至りません」 「主人の作った文鎮をお贈りいたします」、 と書かれていた。 昔、彼女のお父さんから一振りのナイフを頂戴したことがある。 「Nさん(私のこと)、貴方にナイフをプレゼントするよ」、 と一振りのナイフを頂戴したのだが、 「これが私の自信作」、と言って見せられたナイフの素晴らしかったことといったら・・・。 見せられたナイフと頂戴したナイフを見比べてみると、 どうしても頂戴したナイフが見劣りしてしまう。 その切れ味を指の腹に当てたりして試しているうち、 「解った、解った、もうそっちのいい方のナイフをあげるわ」 「ナイフも解る人に使ってもろうたら本望やろ」、 と、そのМさん自信作のナイフをちゃっかり頂いてしまったことがあった。 古式の製法にのっとって鍛えられたナイフ。 あれから十五年ほどは経つだろうか、 頂戴したナイフは今も大事に使わせていただいている。 もっとも、研ぎを繰り返したせいですっかり短くなってしまったが・・・。 ![]() カレンダー 年末ともなると、 取り引き先や銀行からカレンダーを頂戴するのだが、 今年はそのカレンダーを一冊も頂戴していないことに気付く。 カレンダーの数え方は「冊」でよかったのかな・・・? 昨今は不景気であるから、 企業がカレンダーの配布を止めてしまったのかもしれない。 もっとも、 気に入らないカレンダーを頂戴した場合など、 結局はゴミとして廃棄するしかなかったのだから、 資源保護の観点からしても、 これはこれで大変に結構なことではないか、と思う。 カレンダーといえば、 一世を風靡したメンズ・ファッション・メーカー「VAN JAC./ ヴァン・ジャケット」が、 「CAPE COD SPIRIT」というキャンペーンを打ち出したことがあった。 その時のカレンダーが格好よかった・・・。 白い帆に「CAPE COD SPIRIT」とプリントされたヨットが海の上を疾走する、 というシーンを印刷したカレンダー。 「CAPE COD」といえば、 清教徒が新天地アメリカに最初に到達した地点であったし、 あの「ケネディ」家の別荘があることでも有名な岬だった。 もっとも、撮影された場所はアメリカの「CAPE COD」ではなく、 日本の三浦半島の辺りであったらしいが、 そのカレンダー欲しさに、私はせっせと「ヴァン」で買い物をしたものだった。 「お金を出してでも欲しい」、とそう思わせるカレンダーだったな。 「CAPE COD SPIRIT」のカレンダーを天井に貼り、 ベッドに寝転がっては、まだ見ぬ海外への空想を膨らませたものだった。 あれは私が二十歳の頃であったから、もう四十年以上も前のことになる。 当時のカレンダーといえば、 十二ヶ月十二枚綴りのものが主流であったように記憶しているが、 「ヴァン」のカレンダーには、 六・七・八月の三ヶ月分しかプリントされていなかった。 これもなかなかに新鮮な感覚であったように思う。 九・十・十一月分のカレンダーが欲しければ、 秋・冬もののセーターやカーデガンを買わなければならなかったが、 それでも、「ヴァン」のカレンダーは当時の若者のステータスであった・・・。 ![]() お正月 元旦の「旦」の字は、 地平線、または、 水平線から太陽が昇ってくるシーンを表した文字である、 とそう誰かに教えられた憶えがある。 「元」の意味は「はじめ」、つまり「beginning」。 「旦」の意味は「朝」、つまり「morning」。 なるほど、よくできているな、と感心してしまう。 私は兵庫県の明石市の生まれだが、 「明」という文字は、 「日」と「月」だから「明るい」のではなく、 この場合の「日」は「窓枠」を表す象形文字であるらしい。 「窓枠」を通して「月」の光が差し込むから「明るい」のだそうである。 なんとロマンティックな表現であることか。 日本語は美しいねぇ・・・。 歳をとったせいか、 近頃は母国語に大きな関心を持つようになったが、 読めても書けない漢字のなんと多いことか・・・。 情けないったらありゃしない。 しばらく中断していた英会話も再開したい、とも思うが、 いくら英語が喋れたところで、備わった知性以上の会話はできないものであるしね・・・。 日本語で「源氏物語」について語ることができなければ、 英語で「源氏物語」について語ることはできない、ということ。 さて、今日はお正月。 年頭に際しいろいろと思うことも多いが、 今年からは母国語にもう少し慣れ親しんでみようか、と思う。 あと一つ。 私も歳が歳であるから、 今年からはもう少し自分の身体を労ってやろう、とも思う。 ![]() ももひき 中国の某ファッション誌の編集長の、 「ももひきを穿くのは格好が悪い」 「欧米では笑いものにされている」、 という発言が国中で物議をかもしているらしい。 今から四十年ほど前のことであったと記憶しているが、 日本においても、 「男のももひきほど格好の悪いものはない」、 という発言が某女優の口から飛び出したことがあった。 「加賀まりこ」じゃなかったかな!? 以来、都市部ではももひきがさっぱり売れなくなってしまった。 夏はすててこ、冬はももひき。 この二つは男の必須アイテムであったように記憶しているが、 女にもてようとして、 若い男たちは寒さを我慢してももひきを穿かなくなってしまったのだった。 かく言う私もその内の一人だったのであるが、 二十八歳の時の冬を境に、 ももひきをまた愛用するようになってしまった。 今から三十四年前、 私は福島県の会津磐梯山の裏側に住んでいた。 いわゆる「裏磐梯」と呼ばれる地域。 五色沼や桧原湖、小野川湖のすぐ近く。 冬ともなると、屋外の気温はマイナス十度を軽く超えてしまう。 ももひきを穿いていなければ、命にかかわってしまう。 昔、「伊達の薄着で洟垂らす」という言葉があったが、 伊達者を気取るほど馬鹿馬鹿しいことはない。 それに、自分が意識するほど他人が自分を見ているなんてことはないしね・・・。 寒けりゃぁ堂々とももひきを穿けばいいのである。 女の目線など気にしなければいいのだ。 女はパンティ・ストッキングなどという便利なものを穿いているではないか。 パンティ・ストッキングなど、脱皮を終えたニシキヘビの抜け殻のようなもの。 そんなものを穿いている女に、 「ももひきは格好が悪い」、などと言われたくはないものであるね。 ![]() キムチとすぐき 今回の旅のお土産は、 「Kriepa」のティッシュ・ペーパー一ダース。 「Dallmayr」の新商品であるらしい 「エチオピア・ブレンド」のコーヒー五袋。 「AJONA」の錬り歯磨き四箱。 そして、不味いと評判の高い 「Pulmoll」のクラシック・キャンディを三缶。 「Dallmayr」のフランケン・ワインは ミュンヘンにお住まいのGさんから頂戴したもの。 「David Carter」の飛び出す絵本は ハフナーさんからクリスマス・プレゼントに頂戴したもの。 自分で買ったものといえば、 ティッシュとか歯磨きとかの日用品ばかり。 正直なところ、 海外に出かけても欲しいと思うものがほとんど無い・・・。 荷物を整理し、 「さて、アパートに帰ってさっさと寝よう」、と思った時、 不意に「キムチ」が食べたくなる。 摂食障害を起こしている時に、 よりによって「刺激の強いキムチ!?」とは思ったが、 「食べたいと思うものを食べたい時に食べておこう」と思い直し、 マーケットに出かけてキムチを購入する。 漬物のコーナーをブラブラと物色するうち、 美味そうな「すぐき」を見つけ、これも一緒に購入する。 アパートに戻り、冷凍してあったご飯を温めて粥を作り、 キムチとすぐきを皿に盛りつける。 これが実に美味かった・・・。 さすがに粥は一膳も食べきれなかったが、とても美味しく頂けた・・・。 量ってみると、ここ三週間ほどの間に体重が六キロほども減少してしまっていた。 明日からはリハビリに精を出さなければならないが、 食欲が出てきた、というのはとてもいいことであるな。 ![]() München / ミュンヘン二日目 皆さんが市内観光に出かけていらっしゃる間、 ホテルでゆっくりと休ませていただくことにする。 摂食障害を起こしているからか、空腹をほとんど感じない。 午後一時、 カンパリ・オレンジが無性に飲みたくなり、 マリエン・プラッツのラーツ・ケラーまで出かける。 カンパリ・オレンジをチビチビやりながら、 「R・C・ウイルスン」著による「時間封鎖」を読む。 今日は午後四時から、 ハフナーさんのご自宅に招待されている。 「ドイツの一般家庭におけるクリスマスの過ごし方を体験してください」 「皆さんどうぞご一緒に」、ということなのだが、 それまでにはまだ少し時間がある。 マリエン・プラッツの辺りをブラブラと散歩することにした。 午後三時半、ミュンヘンにお住まいのGさんと合流し、 ハフナーさんのご自宅に向かう。 いやはや、素晴らしいアパートであるね。 壁面や棚には、世界中のおもちゃが並び、 書架にはおもちゃに関する書籍が所狭しと並べられている。 また、そのキッチンの素晴らしさといったら・・・。 今、彼の店は改装の最中。 来年の三月には新装開店の運びになるらしいが、 今度は世界中の優れた飛び出す絵本も多く扱ってみたい、と言う。 日本の飛び出す絵本を何冊か送ることを約束したが、 訊くところによると、 今、彼のお嬢さんは飛び出す絵本についての本を執筆中であるらしい。 執筆が終われば、その資料としてして使った絵本は私にくださる、と言う。 楽しみなことではあるね。 さて、今日でツアーはおしまい。 体調が優れなかったために、 皆さんには大変な迷惑をかけてしまったのではないか、と思うが、 ま、これはこれで結構楽しい旅ではあったようにも思える。 いつかまた、機会があればご一緒したい、と思う。 ![]() München / ミュンヘン 今日はバスでイエナまで移動し、 イエナからICEでミュンヘンまで行くことになっていたが、 皆さんの荷物の量の多さに驚いてしまった。 この時期、ヨーロッパの列車は、 日本におけるお盆の帰省列車のような様相を呈する。 列車がイエナに停車する時間はわずか二分。 二分といえばわずか百二十秒であるから、 荷物を列車に積み込むには、 一人当たりわずか十二秒しかない・・・。 通路にまで人が溢れかえる列車の中に、 はたしてこれだけの荷物を時間内に積み込むことは可能か・・・!? 「そいつは無理だろう!」、と判断し、 バスでミュンヘンまで移動することにした。 列車による旅を楽しみにしていらっしゃる方もいたようだが、 引率者としてはリスクは回避しなければならない。 荷物をバスで送ってしまい、 身体一つでICEに乗り込む、ということも考えたが、 それでは余分に高額な経費がかかってしまう。 また、ミュンヘン中央駅からホテルまで、 これだけの荷物を引きずって歩く、というのも疲れる。 皆さんを説得することにした。 ノイハウゼン、マリエンベルク・・・。 バスはエルツ山地の村々をゆっくりと抜けながらケムニッツに向けて走る。 バスの旅もなかなかにいいものであるんだがなぁ・・・。 午後四時半、バスは無事ミュンヘンのホテルに到着。 ![]() SEiffen / ザイフェン二日目 午前十時、ザイフェンの玩具博物館に向かう。 館長のコンラッドが館内を案内してくれることになっているが、 会っていきなり、 「今日は時間がない」 「もうすぐ出かけなければならない」、と言う。 ドイツ人の律儀さなんだろうが、 彼が約束を破るようなことは過去に一度もなかった。 しかし、その彼がそう言うのであるから、 それなりの重大な事件が起きたのかもしれない。 皆さんが館内を見学されていらっしゃる間、 三階の踊り場の椅子に座り、ウツラウツラと惰眠を貪る。 いくら寝ても寝足りない・・・。 お昼ご飯はトマト・スープとパン。 酸っぱいスープにソーセージや様々な野菜がたっぷりと入っている。 冷えた身体にこの温かさがなんとも嬉しい。 昼からは皆さんのお買い物のお手伝い。 昨年あたりからだったろうか、 コンピューター制御によるレーザー工作機械が出回ったことで、 エルツ地方の技術には目覚しい進歩が見られるようになった。 しかし、そこには「職人」の技がどこにも見られない。 絵を描けば、その絵をコンピューターが読み取り、 レーザーが絵とまったく同じものを何千、何万と生産していく。 素人目にはなかなか美しく仕上がっているように思えるが、 そこには「味わい」というものがまったく存在しない。 また、「クルミ割り人形」ひとつとってみても、 日本のこけしと同じように、その出来映えは千差万別。 美しい顔つきのものもあれば、品のない顔つきのものもある。 はるか旧・東ドイツの地の果てのような村にまでやってきて、 つまらないものを買ってしまったのでは後々に悔いが残る、というものではないだろうか。 ![]() Seiffen / ザイフェン プラハからザイフェンに向かう。 今日は午後三時から、 「Wolfgang Werner / ヴォルフガング」の アトリエを訪問することになっているが、 日本で言うところの、 いわゆる「仕事納め」は昨日の日曜日であったはず。 今日は私たちのために、 わざわざアトリエを開放してくださる、と言う。 実に有り難いことである。 おもちゃがどのように作られていくのか!? そのことを我々に教えるため、 わざわざ二人の職人も休日出勤させてくれていた。 ヴォルフガングとの付き合いはかれこれ十五年を超えるだろうか。 お互い前髪や鬢に白いものが混じる歳になった。 奥さんのウテもヴォルフガングも、 少しは英語が操れるようになっていた。 お互い拙い英語ではあるが、 共通の言語でなんとか意思を通じさせることで、 お互いの関係がより深まったような気がする・・・。 このことだけでも、今回の旅には大きな意味があったように思えてならない。 ザイフェンの夜は早い。 午後五時頃にもなると、日はとっぷりと暮れる。 店も閉めてしまうところが多い。 今晩はやたらと風も冷たく強い。 早々とホテルに帰ることにした。 ![]() Krteček / クルテク 今回の旅行は、 西宮や宝塚の幼稚園の園長さんたちとのツアー。 皆さんはプラハ城やカレル橋の見学に出かけていらっしゃる。 皆さんの引率はYさんにお任せし、 私はホテルの部屋で休ませていただくことにした。 午後二時、 さすがに空腹を覚え、 市内のレストランで何かを口に入れることにした。 以前、プラハ市内の古書店の位置を チェコ・センターのYさんに教えていただいていたのだが、 今日はとてもそこまで歩いていく気力がない。 体力を失くすと気力も失くしてしまうものであるね。 市内をブラブラと徘徊しているうち、 「Raddison SAS / ラディソン」ホテルの前に 「ユーゲント・シュティール」様式の建物を見つける。 中に入ってみることにした。 建物の内部には様々なショップやレストランが軒を連ねていたが、 「私んとこではドイツのダルマイヤーのコーヒーを使ってます」、 などと看板に大書しているカフェに入ってみることにした。 フルーツ・ジャムの入ったクレープとコーヒーを注文。 なかなかに美味しかった。 建物の中をブラブラと探検するうち、 一癖も二癖もありそうなブック・カフェを発見する。 暖かいカフェオレを飲みながら、棚に無造作に置かれた書籍を読む。 時間をかけてカフェオレを飲んでいると、 いかにも絵描き然とした爺さんや、大学教授らしき風采の中年男、 買い物帰りの婆さん、といった人物が入れ替わり立ち代り店の中に入ってくる。 どうやら、ここはプラハでも有名な書店であるようであるね。 来年一月中旬から、 有馬玩具博物館ではチェコ・アニメ「クルテク」の原画展が始まる。 そのことを思い出し、 店員に「クルテクの絵本はないか?」と訊ねてみることにした。 しかし、発音が根本的に違うからか、なかなか通じない。 しかたがないから、紙ナプキンの上に絵を描いてみた。 ほとんど「ドラえもん」のような「クルテク」になってしまったが、なんとか意思は通じる。 来年のカレンダーを三部、チェコ語の絵本を二冊購入。 ![]() 関空~プラハ 関空には午前十時に到着。 ここしばらくの間、 ちゃんとした固形物を口に入れていないせいか、 身体に力がまったく入らない。 軽くまとめたはずの旅行鞄がいやに重く感じられる。 飛行機は定刻どおりに出発。 スキポール空港までの所要時間は十二時間ほど。 飛行機が空に浮かんでしまえば、 いくらジタバタしたところで取り返しはつかない。 せめて他の乗客の方々に迷惑がかからないよう、 静かに小説でも読みながらのんびりと過ごすことにした。 機内では二度の食事が供されたが、これもほとんど食べられない。 関空の売店で買っておいたビスケットをポリポリ齧りながら、 ギャレーに出かけては、 オレンジ・ジュースやリンゴ・ジュースを勝手に飲んで咽を湿らす。 六日の朝。某病院で四種類の薬を処方していただいたのだが、 その効能と副作用を印刷した紙がショルダー・バッグの中に入っていた。 その紙を取り出して読んでみる。 「倦怠感」「胃部膨満感」「食欲減退」「下痢」「胃腸障害」「脱力感」「眠け」「吐き気」・・・。 まさしくそのままの症状ではないか。 「食べたい!」「食べなければ!」とは思うのだが、 いざ食べようとすると、吐き気を催してしまう。 ほとんど何も食べていないのに、 胃部が苦しいほどに膨らんでいる・・・。 少しでも体力を温存させておくため、 読書を諦めて眠ることにした。 プラハには定刻に到着。 サッサと眠ることにした。 ![]() 副作用? 最寄の駅まで車で送っていただき、 地下鉄を利用して新神戸駅まで向かう。 ホテルの部屋で荷物を解き、 下着類やセーター類を区分けして袋に詰める。 と、ここまではよかったのだが、 鞄の鍵をかけ終わったあたりから、 身体の調子がおかしくなり始める。 どうにも腹に力が入らない・・・。 食欲もあまりないから、 三宮の繁華街でうどんを食べることにした。 美味さに定評のあるうどん屋だが、 どうにも、その出汁の匂いが鼻につく・・・。 二口・三口食べたあたりで嘔吐感を覚え、食べるのを止めてしまう。 戦後の食糧難の時代に幼児期を過ごした人間であるし、 腹が減れば何でも美味しく頂ける性質であるにもかかわらず、 一杯のきつねうどんが口に入らない・・・。 風邪薬の副作用で摂食障害でも起こしているのではないだろうか・・・!? 無理をして食べたところで、 吐いてしまえば、余計に体力を消耗してしまう。 「食べたい!」、とそう思うものを食べることにした。 ホテル近くの喫茶店で、 バターの塗っていないトーストと温かいミルクを注文する。 明日からチェコを経由してドイツに出かける。 このような状態で、はたして無事に帰ってこれるか!? ![]() 準備 明後日からプラハを経由してドイツに出かける。 関空発11:55のKLM868便でアムステルダムに向かい、 アムステルダムからプラハに入る予定。 明日は神戸市内のホテルに泊まり、 明後日の朝、三宮発八時半頃のリムジンで関空に向かうつもり。 旅の仕度も終えた。 仕度といっても、男は化粧品など必要ではないから、 いたって簡単なものであるね。 一週間分の衣類と歯磨きセットを鞄に入れてしまえば、 それで準備はほとんど終わってしまう。 しかし、まだ病み上がりの身体ではあるし、 飛行機の中の乾燥具合が気になるから、 マスクだけは忘れずに持っていくことにした。 「病み上がりのくせに何を考えてるのん!?」、 「阿呆と違う!?」、 「病状が悪化したらどうするのん!?」、 といった厳しい意見も一部にあるにはあるが、 なに、出かけてしまえば携帯に電話もかかってこないし、 日常の業務からも開放される。 それに、今回の旅のためにここ二ヶ月ほど頑張ってきたのであるしね。 もっとも、頑張りすぎて「ほとんど肺炎」という状態になってしまったことは否めないのだが・・・。 ま、行けば行ったで何とかなるでしょう・・・。 二十日と二十一日はプラハに投宿。 二十二日はザイフェンに移動し、 ヴォルフガングや、玩具博物館のコンラッドに合う予定。 彼らも楽しみにしてくれているらしい。 ザイフェンの宿は「Nussknackerbaude」。 村はずれにある小さな宿だが、 一階のレストランには歴代の職人たちが作った「クルミ割り人形」がズラリと並ぶ。 食べ物のお味もなかなかによろしい。 二十五日はミュンヘンのハフナーさんのご自宅にお伺いすることになっている。 帰国は二十七日の朝になる予定。 ![]() 声 午後一時から神戸芸工大に出かける。 実に三週間ぶりの講義。 今日はピン面歯車を使ったからくりの提出日だが、 学生たちのほとんどが完成間近のところで頓挫していた。 「なぜ動かないか!?」を一つ一つ検証していく。 学生たちと話しているうち、 大きな声が出せるようになっていることに気付く。 つい先日までは、 数分の会話を交わすだけで息が切れていたのだが、 今日はちっとも息が切れない。 肺の具合が好転してきたのだろう。 実に嬉しい・・・。 快気祝いに、 学食で学生たちに温かいココアやカフェオレをご馳走することにした。 皆で温かい飲み物を口に運んでいるうち、 山口県出身のYちゃんから、 持病についての悩みを打ち明けられたり、 鹿児島出身のWちゃんからは、 ボーイフレンドとのトラブルについて相談を持ちかけられたりする。 彼らの平均年齢は二十歳。 彼らのご両親の年齢は四十台の後半であるから、 彼らにとり、私はお爺さんのような存在になるのだろうなぁ・・・。 それにしても、三週間も休んでしまったから、このままではコマ数が足りなくなってしまう。 一月の二十一日と二十八日に分け、補講を実施することにした。 次回からはいよいよオルゴールを使ったからくりの制作にとりかかることになっている。 ゼンマイからの動力の取り出し方、 回転するシリンダーの止め方・・・等々、学生たちにレクチャーする。 次回はその基本的なデザイン画を提出するよう伝えておいた。 さて、どのようなデザインが出てくるか・・・。 とても楽しみ。 ![]() NISHIDA AIR リンさんとデーヴィッドが帰国する。 「奈良に行きましょう」とか、 「美味しい蕎麦を食べに行きましょう」とか、 彼らといろいろと約束していたのだが、 寝込んでしまったせいで、 ほとんどの約束を反故にするような結果になってしまった。 十二月七日は私の誕生日。 お別れする際、 「お誕生日のお祝いです」、と一つの作品を頂戴する。 デーヴィッドはスコットランドを代表するアーティストの一人だが、 そのデーヴィッドがわざわざ私のために作ってくれたのだ。 先日、世界の航空会社について彼らと話をすることがあった。 彼らのお気に入りは「JAL」、または「ANA」であるらしい。 何より、その木目細やかなサービスが気に入っている、という。 「アリタリアのサービスはひどいなぁ」とか、 「NORTH WESTは、あんた、ありゃぁNORTH WORSTの間違いとちゃいまっか」、 などと関係者が聞いたら激怒しそうなことをほざいていたのだが、 どうやら、その会話の関連でこのような作品の制作を思いついたのであるらしい。 「NISHIDA AIR」と描かれた飛行機の上に、リンさんとデーヴィッドが乗っている。 両翼にそれぞれ一つ、尾翼にも穴が一つ開いていて、 糸で天井から吊り下げられるようになっている。 昨日はリンさんの誕生日であったが、 何も作って差し上げることができなかった・・・。 来年の六月、エディンバラの「ロイヤル・ボタニカル・ガーデン」において、 「Wych Elm」というプロジェクトがスタートする。 そのオープニングにデーヴィッドの作品が展示されるらしいが、 その「ロイヤル・ボタニカル・ガーデン」の館長から一通の手紙が届いていた。 どうやら、デーヴィッドが私のことを彼に紹介してくれていたらしい。 「Wych Elm Project に参加しませんか」 「来年のオープニングにいらっしゃいませんか」、というお誘いの手紙。 来年の六月、エディンバラで会うことをデーヴィッドと約束する。 ![]() リハビリ 一週間ほど寝込んでいたせいで、 足の筋力が萎えてしまったような気がする。 あれだね、熱と咳は体力を消耗させるね。 リハビリを兼ね、 西宮北口の「西宮ガーデンズ」と 神戸の「真珠会館」に出かけることにした。 まずは「西宮ガーデンズ」を訪問。 来年からの取り組みについて、 担当のE氏とコーヒーを飲みながら意見を交換する。 コーヒーを飲んでいて気付いたのだが、 コーヒーを飲むのは実に十日ぶりのこと。 コーヒーが飲めるまでに体力が回復したことを喜ぶ。 E氏とお別れした後、 国道二号線を神戸に向かって車をゆっくりと走らせる。 今日は実に天気がいい。 午後三時、車を旧居留地の駐車場に預け、 徒歩でゆっくりと「真珠会館」まで歩くことにした。 どうやら今年のルミナリエも今晩で終わるらしい。 納品させていただいたからくり人形のチェックにとりかかる。 関係者の方々が次々と挨拶に来てくださる。 作ったからくりの評判は相当にいいものであるらしい。 しかし、会館にお勤めのKさんはからくりの制作に否定的であったらしく、 担当のSさんとの間で激論を交わすこともしばしばあった、と聞いていたが、 そのKさんからの評価が一番高かったというから、面白いものであるな・・・。 皆さんにご挨拶を済ませた後、 旧居留地の方に向かってブラブラと歩く。 前述したように、足の筋力が落ちてしまっているからブラブラと歩くことしか出来ない。 今日は職場に帰っても何の仕事もない。 大丸のカフェテラスで一杯のカフェオレを飲む。 温かいカフェオレから、健康であることの意味がしみじみと伝わってくる。 ![]() 回復? えらい目にあってしまった・・・。 二日の夜に三十八度七分ほどの熱があったにもかかわらず、 それを無視して仕事を片付けていたら、 六日の夜にとうとう倒れてしまった・・・。 咳と痰と胸痛と三十七度五分を超える発熱。 八日の朝、近くの総合病院にて診察を受ける。 「肺炎ではないが肺炎とほぼ同じような症状!」、 それが医師の下した診断だった。 抗生物質やら四種類ほどの薬をいただいて帰ったのだが、 一向に薬が効かない・・・。 薬効がないばかりでなく、 その副作用ばかりがきわだっているように感じられる。 嘔吐、下痢、食欲減退、倦怠感・・・等々。 「食べなければ」とは思うのだが、 食べ物を口に入れると吐き気を覚える。 食べてもいないのに、やたらとトイレが近くなる。 五日から煙草を吸っていないせいか、 嗅覚と味覚が異常なほどに鋭敏になっている。 妻が野菜の水炊きを作ってくれたが、 ポン酢の中に含まれている昆布の出し汁の香りで吐きそうになってしまう・・・。 しかし、いつまでも寝ているワケにもいかないから、 風呂を沸かして、まずは身体を綺麗にすることにした。 裸を鏡に映すと、身体に厚みがなくなってしまったように感じる。 体重計に乗ってみると、五キロほど痩せてしまっていた。 職場に出勤する途中、 無性にバターをたっぷりと塗ったトーストが食べたくなり、 馴染みの喫茶店に入って注文する。 午後三時、職場に出勤。 机の上には書類の山が・・・・。 さてさて、どこから片付けていけばいいものやら。 今晩は妻が湯豆腐を作ってくれるらしい。 ![]() ダウン 午後の新幹線で神戸に向かう。 身体の震えと咳が止まらない。 新神戸駅から地下鉄に乗ろうとして、 車を神戸空港に停めっぱなしでいたことを思い出し、 三宮からポートライナーで空港に向かう。 今朝は神戸の町にも雪が舞ったらしい。 空港の気温は零度近くにまで下がっていた。 車の窓には薄っすらと氷が貼り付いていた。 震える手でエンジンをかけ、室内が暖まるまでじっと待つ。 頭も朦朧としているからスピードは出せない。 「右よし、左よし」 「前方の信号は黄色」、 などと指差確認しながら車をゆっくりと走らせる。 午後八時、神戸の職場に到着。 相当にひどい顔をしていたのだろう、 残っていた職員たちが皆一様に気遣ってくれた。 車を職場横の駐車場に停め、タクシーでアパートに帰る。 これで、年内にやり遂げなければならない主だった仕事はすべてこなした。 多分、それで気が緩んだのだろう、 その気の緩んだところを風邪に狙い撃ちされたような感じがする。 アパートの部屋もまるで氷室のように冷え切っていた。 湯たんぽに熱い湯を入れ、さっさと布団に潜り込む。 二十日からはチェコとドイツに出かけなくてはならない。 今日は六日。 二十日までは残すところ二週間ほどしか残されていない。 それまでに完治するか・・・!? ![]() 息子 午前十一時、 「MIKIMOTO」における記者会見が無事に終了する。 会見中は咳も出ないでいてくれた。 午後二時、銀座のソニー・ビルで長男のDと会う。 一階のレストラン「カーディナル」では、 「マキシム」が作るミルフィーユが食べられるのだが、 Dはこのミルフィーユが大のお気に入りであるらしく、 銀座で会う度に、彼はこのミルフィーユをむさぼるように食べる。 Dは東京でイラストレーターの職に就いているが、 ANAのアテンダントの人形のデザインをしたりと、 ま、いわゆるオタク相手の仕事をすることがとても多い・・・。 「父親には自分の仕事や存在を否定されている!」、 と、つい最近までDはそのように思い込んでいたようなフシがある。 過日、Dの友人と名乗る二人の若者が私の職場を訪れてくれたことがあった。 息子に対する父親としての想い、 息子の仕事に対する父親としての想い・・・。 それらを二人の青年に告げたことがあったが、 多分、その言葉が彼らの口を通じてDに伝わったのだろう、 以後、私に対するDの態度がすっかり改まる、という出来事があった・・・。 今日も、「お母さんは元気?」、 「往復の旅費を出すからお母さんには一度僕のマンションに泊まりにきて欲しいな」、 などと殊勝なことを言ってくれる。 親子とはいえ、お互いがお互いを理解するには時間がかかるものであるが、 理解し合えれば、すべてのことは水に流せてしまえる。 息子と別れた後、「MIKIMOTO」に戻って来客の相手に専念する。 午後五時、猛烈な寒気に襲われる。 宿に帰って計ってみたら、体温は三十七度を少し超えていた。 今夜はP社のIさんらと飲み会の約束があるのだが、 「どうしよう・・・?」、などと考えているうち、 前後不覚に陥ってしまった・・・。 ![]() 搬入 明日から銀座「MIKIMOTO」において、 「ドイツ木工マイスターに受け継がれる匠」展が始まる。 午前九時、「MIKIMOTO」の通用口に関係者が集合。 ザイフェンからの荷物はすでに成田から届いていた。 午前十時、飾り付けの作業開始。 岡山の現代玩具博物館からは「ノアの方舟」も届いている。 他の作業は皆さんにお任せし、 「鎖のシャンデリア」と、 「蜘蛛のシャンデリア」の組み立てに取り掛かる。 何しろ世界でたった一つしか残されていないものであるから、 取り扱いには注意をはらわなくてはならない。 汚れることを気にして手袋をはめていたら、 あまりにも部品が小さすぎて指先の感覚がつかめない。 このままでは落下などの事故を引き起こしかねない、と判断し、 素手で二百個あまりの部品を取り付けていくことにした。 午後三時、「鎖のシャンデリア」の組み立て完了。 引き続き「蜘蛛のシャンデリア」の組み立てに取り掛かる。 「鎖のシャンデリア」に比べ、 その部品の数は圧倒的に少ないから、組み立ては比較的短時間で終了する。 二つのシャンデリアに、 Sさんが買ってきてくれたロウソクを取り付ける。 実に美しい・・・。 昔、ザイフェンはまたガラスの材料を産出する地域でもあった。 村にはボヘミア辺りからのガラス職人たちも住みついていたらしいが、 彼らが作るシャンデリアは庶民にとって高嶺の花のような存在であったらしい。 で、木工職人たちは、木を削ってガラスのシャンデリアと同じようなモノを作った、という。 多分、クリスマスや特別な行事の度に組み立てと分解を繰り返したのだろう、 シャンデリアにはその痕跡がいくつも残されていた。 腕に覚えのない家人が修理したような痕跡も残されている・・・。 シャンデリアを作った職人の家の歴史が垣間見えて、とても興味深い。 ![]() 夜間飛行 神戸空港20:00発の スカイマーク116便で羽田に向かう。 窓から見える夜景がとても美しい。 昔、飛行機にはそれぞれの機体に名前が付けられていた。 今から四十年以上も前のこと、 大阪から羽田に向かう深夜便には 「ムーンライト」というロマンティックな名前が付けられていたし、 大阪から札幌に向かう飛行機の名前は、 たしか「ポールスター」だったと記憶している。 「オーロラ」という名の飛行機もなかったっけ・・・? 赤軍にハイジャックされた飛行機の名前は「よど号」だったな、 などと夜景を楽しみながら、 取り留めも無いことをいろいろと思い出す。 21:15、飛行機は予定どおり羽田に到着。 熱があるせいか、足元が少し覚束ない。 荷物も重いから、タクシーで銀座に向かうことにした。 明日は銀座の老舗で搬入の作業を行わなければならない。 作業そのものはそう難しくもないが、 ザイフェンの博物館から借り受けた重要文化財的なものを扱わなければならない。 文化財に傷でもつけてしまった日にゃぁ、 私一人が頭を下げて済む問題ではなくなってしまう。 多分、誰も手伝ってはくれないだろうから、 私が最初から最後まで一人で取り扱うことになるのだろうな・・・。 それは最初から解っていたことであるから、誰かと作業を分担するつもりもないが、 ま、責任の重い作業ではあるね・・・。 明後日の朝はマスコミに対して五分ほどのスピーチを行うことになっている。 それまでに咳が止んでくれればいいのだが・・・。 ![]() 真珠会館 真珠会館から依頼のあったからくりの制作に取り掛かる。 真珠会館は、 あのルミナリエの最終地点にあるレトロなビルだが、 ルミナリエの期間中は、 訪れる来館者の数も半端じゃないほど多いという。 「真珠は人魚の涙」 「真珠は月の雫」、 その二つをコンセプトにからくりを作ることになっていたが、 手伝ってくれていたT君がいきなりストライキに入ってしまう。 「どう頑張っても期日には間に合いそうにもない」 「身体に鞭打つような仕事はしたくない」 「仕事は自分のペースで進めていきたい」、 ということであるらしい・・・。 私は彼のライフ・スタイルに口を挿むつもりなど毛頭ない。 問題は「請けた仕事を途中で投げ出すか、投げ出さないか」なのであり、 依頼主に対する「信義」の問題であり、 彼のライフ・スタイルの問題ではないのであるね。 期日までに仕上げられる技法や、 考えられる問題点と解決法を示しながらT君を説得する。 ま、制作の現場ではいろいろなコトが起きるものである・・・。 念のため、半日の猶予をいただけるよう、依頼主のSさんに連絡する。 快諾を得たことで、気分的に多少の余裕ができる。 しかし、納期までには三日半しか残されていないから、 作業は迷うことなく進めなくてはならない。 誰一人無駄口を利かないから、作業は粛々と進む・・・。 私は六体の人魚の色塗りに専念することにしたが、 なかなか思ったような色が表現できない。 ラフ・スケッチで表現した色とは微妙に違う。 青に紫を加えたり、それにまた群青を加えたりと、試行錯誤を続ける。 深夜、人魚の尾の部分の色が決まる。 色が決まれば、あとは何度か塗り重ねていくだけのこと。 ひょっとしたら、今夜も寝れないかもしれないな。 ![]() 完成 新神戸駅から有馬の職場に向かい、 車に乗り換えて「西宮ガーデンズ」に向かう。 H君の頑張りのおかげで、 大型のからくり人形は見事に完成していた。 ただ、完成はしていたが、 もうすでに至るところに破損が見られる・・・。 「ゆっくりとハンドルを回してください」 「作品にはお手を触れないでください」、 と書いてあるにも関わらず、 親が子どもを抱き上げて人形を素手で触らせていたりする。 子どもは力をコントロールできないから、 駆動部分のシャフトを簡単にへし折ってしまったりする。 それを咎めると、 「触っていけないモノなら置いておくな」、という返事・・・。 馬鹿じゃなかろうか・・・。 このような親に育てられた子どもは同じような大人に育っていくのだろう。 日本は滅びるね・・・。 とはいえ、「どのように扱ったらいいですか?」、と訊ねてくれる親も、また多い。 会場に立っていて気付いたことだが、 馬鹿な親子は服のセンスが悪い! いくら高価な衣服であっても、色やデザインについてのバランスが実に悪い! いくらセレブを気取ったところで、顔つきに品がない。 多分、それは生活センス全般について言えることなんだろうが、 口の利き方といい、立ち振る舞いといい、履いている靴といい、 持っているバッグといい、着ている服といい・・・、 すべてにわたってバランスが取れていない。 そういえば、昔、「知的貧富差」という言葉が囁かれた時期があったな。 作った作品が壊されていくのを見るのはとても辛い。 透明アクリルの板で舞台を囲ってしまうことにした・・・。 触れなくしてしまえば、私も腹をいちいち立てなくて済む。 ![]() 成田 徹夜明けの二十六日、 現場の始末をH君に託しておき、 午後の新幹線で東京に向かう。 心身ともに疲れ果てているから、 グリーン車のチケットを購入することにした。 列車が新神戸の駅を離れる間もなく、 泥のように眠りこけてしまった・・・。 気が付くと、新幹線は品川駅を出るところであった。 新幹線は実に速いね。 地下鉄を乗り継いでいく気力もないから、 タクシーに乗って予約していた銀座の宿に向かう。 部屋に入ったとたん、またまた正体なく眠り込んでしまう。 二十七日午前十一時、P社のSさんの車に同乗させていただき、成田に向かう。 関税の保税倉庫にザイフェンの玩具博物館から木製のシャンデリアが届いているのだが、 重要文化財ほどの価値のある繊細なシャンデリアであるから、 破損などがあった場合、保険で弁償、で済まされるはずはない。 現場には運送会社の担当者も立ち会うという約束であったが、 吹きっ曝しの保税倉庫で待っていても、いつまで経っても担当者がやって来ない。 仕方がないから、Sさんと木箱を開梱することにしたが、 現場にはろくなねじ回しが用意されていない・・・。 小さなねじ回しで箱を開けているうち、 身体がホカホカと温まってくるが、息も切れてくる。 ザイフェンからの荷物の梱包具合はパーフェクトであった。 外箱の中に内箱がセットされていたが、どうにもその内箱に見覚えがある。 内箱の外側には、 「Dr. Konrad Auerbach」 「Erzgebirgisches Spielzeug Museum Seiffen Huptstrasse 73」 と書かれた紙が糊で貼り付けられていた。 二年前の三月、私がザイフェンの玩具博物館に作品を送る時に使った木箱・・・。 木箱がお里帰りしてきたようで、なんだか無性に嬉しかった。 ![]() 徹夜・その2 明日はいよいよ「西宮ガーデンズ」のグランド・オープン。 今日中に現場でからくりを作り上げなければならない。 昨晩中に部材はすべて搬入しておいたのだが、 H君に言わせると、 「まだ出来上がっていない部品が幾つかある」、らしい。 どうやら、H君は昨晩も徹夜したらしい・・・。 顔色がまるで紙のように白い。 血の気がほとんど感じられない。 「大丈夫か!?」と思ったが、 今一番大事なことは「間に合わせる」ということであるから、 それには気付かないフリをすることにした。 組み立てている最中、細々としたトラブルが幾つも発生する。 ハンドルが軽く動かない。 亀を乗せるためのシャフトが思ったように動かない・・・等々。 過日、私たちはからくり人形の制作集団、 「Arima Automata Association」を立ち上げたばかり。 その第一作目となる記念のからくりであるから、 失敗するワケにはいかない。 また、私たちを信用して注文をくださったE氏の顔を潰す、というワケにもいかない。 仕事には多くの人々の思惑が複雑に交差するものである。 しかし、仕事を請け負った私たちにとって、 まず第一に配慮しなければならないことは、「納期に間に合わせる」、ということに尽きる。 第二に、 「依頼主が希望している以上のモノを作り届ける」、ということにも気を配らなければならない。 しかし、いいモノを作ろうとすればするほど、 からくりの制作には金と時間がかかっていく。 ま、それは何の制作の現場でも同じなんだろうが、 利益の幅が薄いからといって、それを口実にするようなことがあってはならない。 だったら最初から請けなければいいのであるね。 いいモノを作るから次の注文が入ってくる。 とにかく、目の前にぶら下がった仕事を確実に一つずつ片付けていくしかない。 で、フと後ろを振り返った時、 なんだかすごいコトになっているのが、 それが一番カッコイイことのように思えてならない。 とうとう徹夜になってしまった。 とうとう納期には間に合わなかった・・・。 さて、この落し前はどのようにつけたらいいのだろうか・・・。 ![]() バランス ほとんどの人形の塗装が終了する。 塗装の終わった人形を並べてみて愕然としてしまった。 どうにも鯨のフォルムに違和感がある。 鯨が大きく口を開けると、 その口の中からゼペット爺さんが現れるのだが、 そのゼペット爺さんと鯨のデザイン・バランスがとても悪い。 その鯨の横で筏に乗って漂流するピノキオとのバランスも悪い。 散々悩んだ挙句、鯨を作り直すことにした。 作り直すとはいえ、 一から作り直しているような時間はもう残されていない。 基本的な構造はそのままに、 全体のフォルムを大きく変えてしまうことにした。 大型ベルト・サンダーの定盤の上に鯨を乗せ、 空洞の位置を指で探りながら、鯨を少しずつ削っていく。 作業場にはもうもうと木屑の粉が舞い始める。 集塵機の調子が悪く、木屑が吸い込まれていかない・・・。 仕方がないから、 大型の工場扇で粉を吹き飛ばすことにした。 工場扇を向かって斜め左にセットし、ベルト・サンダーで鯨を削る。 粉は風に乗って工房の外に飛ばされていくが、 風力が強烈であるから、こちらの体温も急激に奪われていってしまう。 鯨を削っているうち、咳が止まらなくなってしまう。 すっかり身体が冷え切ってしまった。 ![]() 徹夜・その1 今月の二十六日、 西宮北口駅前に「西宮ガーデンズ」がオープンする。 そのための大型からくり人形の制作を進めているのだが、 今朝、現代玩具博物館に出勤して驚いた。 この進捗状況ではとても期日に間に合いそうにもない。 駆動部分の制作はH君とT君に任せることにし、 私にしか出来ないことの制作に取り掛かることにした。 整形済みであった二十体ほどの人形の着色に取り掛かる。 水で薄めた下塗り剤を満遍なく人形の体に塗り、 乾いたところで、下塗り剤を重ね塗りする。 しかし、室内温度が低いから、なかなか塗料が乾かない。 下塗り剤が完全に乾いたら、 二百四十番のサンドペーパーで「ばり」をこそげ落とす。 「ばり」を落とした人形のボディにアクリル塗料を薄く塗りつけていく。 乾いては塗り、乾いては塗り、の単純な作業だが、 色によっては、何度塗り重ねても色むらがでてしまう。 また、あまり色を塗り重ねると、 乾いた時に「剥離」などという厄介な問題が出てくることもあるから、 限度を見極めながら、薄く溶いた絵の具を慎重に塗り重ねていくしかない。 鯛の背中に乗る「恵比寿」を仕上げる。 鯛の背中に乗る「大黒」を仕上げる。 亀の背中に乗る「浦島太郎」を仕上げる・・・。 作業机の上に少しずつ完成品が並んでいく。 完成品を並べながら、 それぞれの色の彩度と明度に違和感が出ないよう、微妙な修正を加えていく。 気がつけば、夜は白々と明けはじめていた。 先日から咳が止まらない。 症状が悪化しなければいいのだが・・・・。 ![]() 美の壺 テレビをあまり観ない私だが、 それでも、楽しみにしている番組がいくつかある。 NHK教育の「美の壺」もその中の一つ。 番組のナビゲーターを務める「谷啓」の、 あのとぼけた語りや表情も大いに気に入っているのだが、 実は、多分、これは私と「谷啓」にしか出来ないだろうな、 と思われる「芸」があるのだ。 そのことで、以前から「谷啓」にはある種の親近感を抱いてきた。 もう随分と昔のことだが、 ある番組の中で、 「谷啓」がその「芸」を披露していたことがあった。 「芸」といっても、ある特殊な発声法なのだが、 その声を聴いた時、 「こんな何の役にも立たないことが出来る人が他にもいる!?」、 と大いに驚いたものだった。 以来、私は「谷啓」の大のファンになったのだが・・・。 先日、その「美の壺」の取材を受ける。 今日、その番組が放映された。 特集は「オルゴール」。 オルゴールと時計とからくり。 この三つには大変に密接な関係がある。 その三つを総称して「CLOCK WORK / クロック・ワーク」、 つまり、「時計細工」とか、 「時計仕掛け」と呼び習わしているのだが、 私はその「クロック・ワーク」の中のからくり、 つまり、「オートマタ」の部分を受け持ったのだった。 番組は大きな反響を呼んだらしい。 ひょっとしたら、幾つかの注文が入ってくるかもしれないな。
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